みなさん、おはようございます!タカハシ(@ntakahashi0505)です。
こちらの記事は、タカハシが音声メディアVoicyの「スキルアップラジオ」にて放送した内容から、ピックアップしてお届けします!
今回のテーマは、書籍「LISTEN」から学んだ聴くこととコミュニティの関係です。
なお、以下で実際にお聴きいただくこともできます!
では、よろしくお願いいたします!
書籍「LISTEN」と聴くことの素晴らしさ
第568回の放送で「2024年にじっくりと読破したい名著3冊」をお伝えしていました。
その中の一冊として紹介していたのが、今回紹介する「LISTEN-知性豊かで創造力がある人になれる」という書籍になります。
ケイト・マーフィーさんが書かれた書籍になるんですが、これを、コミュニティノンプロ研のみなさんと、全3回にわたって輪読会という形で読み進めて学び合ったんです。
これが本当に素晴らしい体験だったので、その中からいくつか特に印象に残ったパートについてお話ができればと思っています。
聴くことに必要なのはワクワク感
まずお話ししたいのは3章からなんですが、3章のタイトルは「聴くことが人生をおもしろくし、自分自身もおもしろい人物にする」というものです。
よく「聴くこと」で言うと、いろんなテクニックが紹介されていますよね。
たとえば、アイコンタクトとか頷き、相づちの打ち方とかオウム返しなどが挙げられています。
それらは、確かに聞く上では非常に有効なテクニックではあるのですが、このケイト・マーフィーさんに言わせると、本当に聞くためにはそれだけではなくて、あるものが必要だと言っているんです。
それが何かというと、好奇心、ワクワク感なんです。
これ、ポッドキャストプロデューサーの野村高文さんも、良い聞き手になるためには、相手にちゃんと関心を持つことがすごく大事だとおっしゃられていました。
そうすれば、たとえ相手が何回もインタビューした人でも、常に素晴らしい話を引き出すことができるとおっしゃられていたんです。
そう言われるとそうだよなとは思うんです。
でも、いつも顔を合わせている同僚や家族など、すっかり親しんだ間柄で、常に好奇心やワクワク感を持ってその人の話を聴いているかというと、いつもそうしていますって元気よく答えられる人はそうは多くはないんじゃないかと思うんです。
人はなかなか好奇心やワクワク感を持って聴くことができないと言われています。
安全基地の存在が聴くことを助けてくれる
それができない1つの理由として、本書では人は不確実性を嫌うから、という点を挙げています。
つまり、相手が話す話というのは、自分のコントロール下にはありませんので、何が出てくるかわからないわけです。
それを嫌ってしまうようだと、なかなかうまく聞けないということになるそうです。
それで、その不確実性に立ち向かうために何が必要かというと、本書で勧めているのが安全基地、セキュアベースと呼ばれるものです。
この安全基地があることで、人は好奇心旺盛かつオープンになることができるので、不確実性の怖さを乗り越えて相手の話を聴くことができるようになるということです。
では、この安全基地とは何かというと、自分の話に耳を傾けてくれて、自分が親近感を抱く誰かがいるということなんです。
あなたには安全基地、ありますでしょうか。
家庭とか学校、職場、そういった場所に、自分の話に耳を傾けてくれて、自分が親近感を抱いている方がいるかどうかということなんです。
もし、そういう人がいない、恵まれてないとなると、好奇心も失われてしまって聞く人にもなれない。だから、そういう居場所、つまり安全基地がすごく大事だよ、本書ではそういう風に伝えていました。
他人とする会話は、自分の内なる声に影響する
社会的認知の脳を使う
次に紹介するのが、「他人とする会話は、自分の内なる声に影響する」というタイトルの11章からになります。
この内なる声というのが、声に出さない独り言です。考え事のことを言います。
まずこの章では、社会的認知を司る機能について紹介されています。
人に共感したり、人の意図や欲求、感情を読み取る時、つまり、他の人と話している時は、この社会的認知の脳を使っています。
この社会的認知の脳は別の時にも使っていて、それは、内なる対話、つまり、頭の中で考え事をしている時も同じ脳を使っているということなんです。
これに関連して、心理学者のヴィゴツキーさんという方がいらっしゃるんですが、他人と話す言葉のことを外言(がいげん)としました。
一方、内言(ないげん)という言葉は、これまでお伝えしている内なる声、内なる対話を表しているんですが、ヴィゴツキーさんは、内言による対話こそが思考そのものであると言っています。
つまり、先ほどの社会的認知の脳の話でもそうですし、ヴィゴツキーさんの話でもそうなんですが、外言と内言、つまり他の人との会話と自分の中での独り言はものすごく密接に関連しているという話なんです。
内なる対話は他者とのやり取りから学ぶ
内なる対話で言うと、他社とのやり取りからそれを学ぶと言われています。
たとえば、大勢の人に耳を傾ける行為をした人、もしくは幼少期に大人から安定した愛着を受けながら育った子、こういった例では内なる対話に良い影響があったと言われています。
一方で、ネグレクト歴があったりすると、内なる対話にも良くない影響があったと報告がされています。
また、考え方の特性として、全部自分のせいと自分に批判的になってしまう人や、逆に、全部自分ではない誰かのせいだと他者を責めるような思考がある人だと、そういった振る舞いがどうしても他者とのやり取りの中でも現れてしまうわけなんです。
このように、他社とのやり取りと内なる対話はもう相互にぐるぐると影響し合っているわけなので、それを良い循環に持っていく必要があるわけです。
そういった意味でも、聴くことからスタートするというのは1つの良いアイデアと言えるんじゃないかという話です。
「聴くこと」は学ぶこと
最後のトピックは18章「『聴くこと』は学ぶこと」から紹介したいと思います。
告解を求める行列
ここで、サン・ファン・デル・バレ聖母大聖堂の大行列というエピソードが紹介されています。告解、つまり懺悔しに来る信者たちが何千人も押し寄せて大行列になると伝えられているんです。
ここで神父さんを務められているホルヘ・ゴメス神父は、その理由としてこのように伝えています。
聴くことが危機におちいっているのだ
そして、それがなぜかというと、話したい人はたくさんいるのに、聞きたい人がごくわずかしかいない。つまり、そのアンバランスがこの大行列を生んでしまっているとおっしゃっているんです。
聴いてもらえる場所が本当に見つからない。そういった状況を危機とよんでるんだなという話です。
この18章の一節にこんなものがあります。
だれかの話に耳を傾けるのは礼儀であり、もっと根本的な、尊敬の証です。
でも、そんなふうに礼儀とか尊敬を抱きながら耳を傾けてくれる人、みなさんの周りにはいらっしゃいますでしょうか。
聞けない連鎖
特にこれが難しいと感じるのは、大人が子供に対してだったり、上司が部下に対してだったり、このような上下関係がある時に、その下と思っている人たちに対して礼儀とか尊敬を抱きながら話を聴くことがなかなかできてないんじゃないかと思うんです。
さらに、我々が普段行き来している組織、人の集まりというのは、家庭だったり学校だったり職場だったりするわけで、このほとんど全てが上下関係のはっきりした組織なわけです。
そうなると、そういった上下関係のはっきりした組織で聴いてもらえない、といったことが続きます。
その下にいる人、子供たちは大人になりますし、部下は上司になります。
上になった時も、これまで聴いてもらった経験がないので、聴いてあげることができないわけです。
そうすると、聞けない連鎖が断ち切れずにずっと繋がっていってしまう、こんなことがもしかしてあちこちで起きてしまっているんじゃないかと思えてしまったんです。
求められる安全基地
やはりそこで求められるのが、3章のパートでもお伝えしました安全基地なんじゃないかなと思います。
もっと具体的に言うと、フラットで緩い関係性で、人と人とがお互いにリスペクトしながらちゃんと話ができるサードプレイス、コミュニティ、居場所、そういったものが大人にも子供にも求められているんだなと思うわけです。
それで言うと、僕は幸いノンプロ研というコミュニティを運営できていて、そこでみなさん同士でお互いリスペクトしてフラットに対話できる場作りに関われていて、本当に幸せなことだなと思うんです。
そして、そういった場所がノンプロ研以外にもたくさん作られていて、それを必要とする人がちゃんとアクセスできる、そういった社会になっていったらすごくいいなと思いますし、どうしたらそうできていくのか考えていきたいなと思いました。
まとめ
ということで、今日はVoicy「スキルアップラジオ」の放送から「書籍『LISTEN』から学んだ聴くこととコミュニティの関係」をお届けしました。
タカハシのVoicyの放送はこちらからお聴きいただけます。
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では、また。