みなさん、おはようございます!タカハシ(@ntakahashi0505)です。
こちらの記事は、タカハシが音声メディアVoicyの「スキルアップラジオ」にて放送した内容から、ピックアップしてお届けします!
今回のテーマは、関係を壊さないために持ち出さないほうがよい話題です。
なお、以下で実際にお聴きいただくこともできます!
では、よろしくお願いいたします!
許せない一言
今日は「#許せない一言」がトークテーマになっています。
僕はあまり過去のことをこだわらないようにしているんですけれど、許せない一言というキーワードでひとつ思い出したことがありましたので、それについてお話をします。
許せないというわけではないんですけれど、こういった話題を出さない方がいいよねというのはあります。
過去の過ちは話題にしないほうがいい
それは何かといいますと、「過去の過ちを持ち出して責める」というものです。
思い出したエピソードがどんなものかといいますと、だいぶ前の話なんですが、ある人と久しぶりにお酒を飲んでいたときのこと。
そのとき、さらに何年も前の昔話を相手が持ち出してきたんですね。
どういった話かというと、その場にいない第三者に僕がある良くないことをしてしまったという過去の過ちについてだったんです。
だいぶ前の話だったので、僕自身も忘れていたんですけれど、それを思い出して、第三者に対して申し訳ない気持ちになったんですね。
その相手はそれを持ち出して「あの件、ちゃんと謝ったのか」「そうでないならもう一回ちゃんと謝れよ」と、そんな話をしてきたんですね。
たしかに僕は第三者に良くないことをしたんですけれど、だいぶ前の話だったので、その出来事がどうやって収束したのか、あまり覚えてなかったんですね。
さらにその相手はさらにそれを突いてきて、本当に悪かったと思っていないんじゃないかと指摘をしてくるわけです。
僕としては、今その第三者とはふつうに仲良く会話をできているし、当の本人からそれを指摘されることはもうすでになくなっていたわけです。
それもありますし、久しぶりにお酒を飲んだ席でわざわざその話題を持ち出すことに僕は憤りを覚えてしまったんですね。
「なんでその話、今持ち出すのか?」と口論になってしまい、後味の悪い会になってしまったという出来事があったんです。
関係が壊れてしまった
残念ながらその相手とは、以降、疎遠になってあまり会話をすることが無くなってしまったんです。
なぜその話題を持ち出したのか、相手は会話をする中で、正義を振りかざしたかったのか、僕の弱みにつけこむことで優位に立とうとしていたのかちょっとわからないんですが、それくらいしかそんなに面白くない話題を切り出す理由は僕には思いつかなかったんです。
結果的に、せっかくできたつながりを失ってしまうという、最悪といってもよい結果になってしまったなというところがあります。
「過去の過ちを持ち出す」にも正当性がかなりある場合ももしかしたらあるかもしれませんが、一方で今回のように全く正当性を感じられないときもあるかもしれないなと思います。
今回当事者はその場にいなかったわけだけど、当事者がその場にいたりとか、もしくは当事者からその件について指摘されたら、また違ったのだと思います。
過去の過ちを責めるというのはうまくない
とにかくいろいろなケースがあるんですけれど、ただ、いずれにしても僕は過去の過ちを持ち出して責めるというのは、どんなケースにおいてもうまくないことだと思っていますし、する必要もないと思っているんです。
その理由についてお話します。
過去に起きた出来事はどうやっても変えられない
過去に起きた出来事はどうやっても変えられないので、指摘されたとしても改善の余地が残されてないわけなんですね。なのでこれからとれる行動としては謝るとか今後気を付けますとかしか選択肢が残されていないわけなんですね。
今も同じ行動を繰り返しているのであれば、当然指摘してもいいものと思うんですけれど、その過ちが一回コッキリだったりとか、すでに十分に改善されて今は繰り返されていないのであれば、その指摘は言われたほうからするとほぼメリットがないし、むしろ自尊心を傷つけられてしまうだけになるんですね。
指摘するほうからすると、自分が納得できるとか、気持ちよくなるとかいうメリットを感じるかもしれないですけど、相手の自尊心を傷つけることなので、相手からすると嫌な人と認識されて、大事なつながりを失うというリスクがでてきてしまうので、得策とは言えないんじゃないかなと思います。
過去の過ちを責められたらどう対処すればいいか
では、自分は他人の過去の過ちを責めないと心に決めたと、そのように活動していたとしても、周りには、他人の過去の過ちを責める行動を繰り返し取る人がいるかもしれません。
その人は良かれと思っている場合もありますし、弱みをついて優位に立とうとしていることもあるのかなと思うんですけれど、そういう人が周りにいるときに、どう対処すればいいかということになります。
この議論についてなんですが、僕が尊敬するデール・カーネギーさんは名著「人を動かす」の中でこう言っているんです。
しっかりと自分の非を認めて素直に謝ることだ
シンプルに「誤りを認めなさい」ということです。
冒頭で残念な例を紹介したいんですが、ここではタカハシには非はないように見えたかもしれないんですけれど、実はこの話でいうと、やりようがあったということなんですね。
どういうことかというと「なんでその話、今持ち出すのか?」と口論をふっかけることをせずに「僕は確かにそんなことをしてしまったね、また折をみてその人に謝るよ」と返せばその話はそこで終わったのかもしれません。
そうすれば、つながりを疎遠になるのを防げてたかもしれないなと思います。
確かに感情的に簡単ではないことだと思います。ただ次にもしそういう機会があったのであれば、本当にこの作戦がうまくいくかどうか試してみたいと思っています。
自分の誤りを認めて相手の誤りを指摘しない
ちなみに、この書籍「人を動かす」では今お話した「誤りを認める」という章があるんですが、その前の章は「誤りを指摘しない」という章になっています。
「他人のまちがいを指摘するようなまねは一切しないことにきめた。この方針のおかげで私はずいぶんと得をしてきた」
今回僕は過去の過ちを持ち出さないということをお話しているんですが、デール・カーネギーさんに言わせると、過去の過ちに限らず、すべての誤りについて指摘しないことを勧めているわけです。
過去であろうが、何であろうが、相手の過ちをそのまま指摘することは、相手の自尊心を傷つけることになります。そうするとその指摘が正しかろうがどうだろうが相手からの反発する心を生み出してしまうということなんです。
過ちをそのままストレートに指摘するのではなくて、相手が「間違いだった」と気づくようにうまく行動しましょうと勧めているわけです。
「人を動かす」は若いときから何度も読んでいる名著なんですけれど、今読んでもたくさんの発見があるなと思います。
それとともに、まだまだ人間として足りていないものがあって、成長できる余地はあるなと思いました。
まとめ
ということで、今日はVoicy「スキルアップラジオ」の放送から「関係を壊さないために持ち出さないほうがよい話題」をお届けしました。
僕は過去の過ちを持ち出して責めるということはしないほうがいいんじゃないかという話をさせていただきました。
しかし、デール・カーネギーさんからいうと、まだまだひよっこだなと思います。
自分が過ちをしてしまった場合はその過ちを素直に認めなさいと言ってるくせに、相手が過ちを犯した際にはそれを指摘するなと言っているわけですね。
シンプルだし言ってることはわかるんですけれど、じゃあ実際に行動が起こせるかというと難しい、そういったことが遠慮なくプッシュしてくるわけなんですね。
またひさしぶりに「人を動かす」読んでみたくなりました。まだ読んだことないというリスナーさんには超おすすめなのでぜひ読んでください。
タカハシのVoicyの放送はこちらからお聴きいただけます。
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では、また。