みなさん、おはようございます!タカハシ(@ntakahashi0505)です。
こちらの記事は、タカハシが音声メディアVoicyの「スキルアップラジオ」にて放送した内容から、ピックアップしてお届けします!
今回のテーマは、私たちはどう学んでいるのかです。
なお、以下で実際にお聴きいただくこともできます!
では、よろしくお願いいたします!
書籍「私たちはどう学んでいるのか」
今日は書籍を紹介します。「私たちはどう学んでいるのかー創発から見る認知の変化」というタイトルです。
「私たちはどう学んでいるのか」というタイトル自体が僕的にはもうどんぴしゃなんです。
ただ、キャッチコピーとして「その学習観まちがってます」というのが入っていまして、学習に関しては僕自身けっこうたくさん本を読んで学んできたつもりなんですが、ちょっと心配になったんですね。
自分がこれまで学んできた学習観と答え合わせしようということでこの書籍を手にとりました。
著者の紹介
著者は鈴木宏昭先生という方で、認知科学を研究されている方で今は、青山学院大学教育人間科学部教育学科の教授でいらっしゃいます。
まさに認知科学が研究領域であり、本書をはじめ関連書籍を多数執筆されています。
主に思考・学習における創発過程の研究を重ねているということで、この書籍でも創発ということばが大きなテーマになっているんですが、まさにそこが先生の研究のどまんなかということになります。
はじめにを読んでいくと、認知的変化とか無意識的なメカニズム、創発など、結構はじめての言葉がたくさんでてきまして、ちょっと難しそうだな~っていう印象です。ページ数は少ないけど気合入れて読む必要がありそうだななどと感じました。
はじめにの後半にはこんな風に書かれています。
「これをあえて書く理由は、文部科学省を中心とする行政、一部の学者が唱える改革というものの多くが、学びという認知の変化を長年研究してきた私からすると、『学び、教育をなめている』としか思えないからである」
この1文だけで俄然勢いよく読み始めた感じはありますね。
実際、研究の内容や成果、解説については専門的な言葉も多くて難しいパートもありますが、切れ味抜群でかなり学びの多い書籍になりますので、ぜひ手に取っていただければと思います。
本書の内容
構成としては全176ページで全6章の構成になっています。大きく分けて3パートに分かれている感じです。
第1章・第2章~能力という虚構・知識は構築される
- 第1章 能力という虚構
- 第2章 知識は構築される
能力という言葉や知識という言葉は普通にあちこちで使っていますが、認知科学的にはみんなが思っている概念とだいぶずれているのではないかという投げかけがされています。この辺は認知科学的な知見とともに読者と一緒に再考するというパートになっています。詳しく見ていきましょう。
第1章 能力という虚構
〇〇力ということばは我々もよく使ってしまっていますが、能力というのは本人のパワー、力量として備わっていて、いつでも発揮できそうな雰囲気を持つように使われています。ただ実際は、全くそうではないということが説明されています。
能力が発揮できるかどうかは文脈に非常に依存しています。これを読んで個人的には〇〇力という言葉を安易に使わないようにしないといけないなと思いました。
第2章 知識は構築される
記憶と知識との違いについて認知科学的にはっきりと説明がされています。
知識を得るというのはさまざまな感覚が総動員されるリッチな体験なんだよということが説明されていて、かつ環境が重要な役割を果たしているということなんです。
これに関しては、僕がプログラミングをみなさんに教えるときに写経をしたりとか、実務で使うということの重要性を示しているんですが、こことマッチしているなあと思います。
学習の最中にツイートとかブログとかアウトプットしていこうというのは、外部環境に記憶を預けているという風にとらえることもできるなあと思って、非常に面白く読ませていただきました。
実際僕自身も、ブログとかツイートを思い出すときに使うことも多いので、確かにそうだなあと思います。
第3章-第5章~上達・発達・ひらめき
続く第3章から第5章が2番目のパートになります。以下のようなタイトルになっています。
- 第3章 上達する―練習による認知的変化
- 第4章 育つ―発達による認知的変化
- 第5章 ひらめく―洞察による認知的変化
練習による上達、発達、ひらめきという3つの現象について解説しているんですね。
いずれも全く異なる認知的変化のように見えるのですが、多様なリソース、揺らぎ、環境が生み出す創発によって引き起こされるという点では共通点があるという話で、かなり面白く読ませていただきました。
本来、認知的変化のことを学習と言ってもいいそうなのですが、発達とかひらめきとかに関しては、一般的に学習という言葉はマッチしないので、認知的変化という言葉で統一しているとのことです。
ひらめきのところは特に面白かったです。環境を変えたりとか、身体を動かしているとひらめくことが多いというその理由が示されています。
よく企業が経営陣の合宿でワーケーションをしたりするんですが、確かにいいんだなあということがわかったりします。
第6章(前半)~学校は特殊な学習環境
第6章が最後のパートになります。タイトルとしては以下のようになっています。
- 第6章 教育をどう考えるか
第6章が最も痛快になっています。第5章までの内容をふまえて、今の学校教育についてもの申す内容になっています。
まず前提として、学校はそもそも特殊な学習環境であると述べているんですね。それをベースにした素朴理論には誤りも多いよという風に指摘しています。例えば、
- 学校では問題が与えられるが、実社会では問題自体を創発する必要がある
- 学校では正解が与えられるが、実社会では正解を知っている教師はいない
- 学校では頭の中で蓄積したことに対して評価されるが、実際には人の知性は環境を前提として組み込まれている
これは確かになあというところはあるんですね。本を読んでもいいし、ぐぐってもいいし、対話型AIを使ってもいい、仲間にたずねてもいいわけです。我々はそういった行動をとりながら仕事をしたりとか仕事に必要となる学習をしたりするわけですよね。
知的活動は、環境の活用も重要な要素として含まれています。出版物で最近「独学」というワードが流行してしまっていますが、本来は逆だと思うんです。
テクノロジーの発展でむしろ環境を用いた知的活動が拡張されています。
例えばクラウド、AIも外部記憶になりますし、思考の壁打ち相手としても使えます。テクノロジー経由で世界中の人ともいろいろなつながり方ができるようになっています。
なのでどんどん活用した方が、生産活動がより豊かになっていくというのがあるんです。
第6章(後半)~どんな学習環境がいいのか
6章の後半ではじゃあどんな学習環境がいいのかというところを展開していくんですが、例えばこんな風に書かれています。
学習の動機として、競争や理解したいという欲求に加えて、感染動機がいいんじゃないかというのがあげられてるんです。つまりその人のようになりたいということです。先生がそういう対象になるのがいいんじゃないかというのが提案なんですね。
また、学習の過程というのは、形式的にステップに分割してそれをふませるだけでは済まない、非分割的なものです、ともあります。
要素化されない部分も含めて全体の振る舞いを観察するみたいな環境がいいんじゃないかとあります。つまり共同体のメンバーとして時間をともにするのがいいという風にも伝えていました。
このあたりは僕自身、学習コミュニティノンプロ研でやっていることを結構裏付けされているように思えて、かなり胸熱な感じで読ませていただきました。自分がこれまで学習してきた学習感とマッチしていると思います。答え合わせ的にはいい感じだったかなと思います。
切れ味抜群のすごくためになる書籍なので、みなさんもぜひ読んでみていただけたらなあ思います。
まとめ
ということで、今日はVoicy「スキルアップラジオ」の放送から「私たちはどう学んでいるのか」をお届けしました。
タカハシのVoicyの放送はこちらからお聴きいただけます。
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では、また。