生成AIの登場が僕らの「書く」モチベーションを失わせたのか

生成AIの登場が僕らの「書く」モチベーションを失わせたのか

みなさん、こんにちは! タカハシ(@ntakahashi0505)です。

みなさんは、「書く」モチベーションはありますか?

最近、書くこと、とくに技術情報について書くことのモチベーションを持てなくなっている人が増えているような気がしています。

今日はその点について考えてみたいと思います。

ということで、今回は「生成AIの登場が僕らの「書く」モチベーションを失わせたのか」についてお伝えします。

では、行ってみましょう!

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技術書典17で感じた「書くこと」の変化

「技術書典17」が11月2日からスタートしました。

僕らはコミュニティ「ノンプロ研」でサークルとして、技術書典11から参加していて、今回は7回目の参加になります。

ノンプロ研のみなさんの学習のアウトプットの場として活用していただいて、これまで17冊を制作しました。

先日の11月3日には池袋サンシャインシティでオフライン即売会も開催され、大変な盛況ぶり…!

大人の文化祭みたいで楽しいですよね。

ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会 | 技術書典
「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」(「ノンプロ研」)は、ノンプログラマーがITスキルを学び合うコミュニティです

さて、その即売会のあとの懇親会で、Hirocomさんをはじめメンバーのみなさんとお話する中で、ある率直な悩みが出てきました。

新しいメンバーが書くことにチャレンジしなくなっている?

それは、「新しいメンバーが技術同人誌制作にチャレンジしなくなっているのでは?」というものでした。

実際、今回の新作はHirocomさんの3作目、ponponmikanさんの2作目ということで、いずれも「リピート」なんですね。

そして、懇親会で最後まで残っているメンバーも、すでに執筆経験者…これまでは、この懇親会で「僕も・私も執筆チャレンジしよう!」という方が生まれることもあったのですが。

また、技術同人誌制作の前段階でみなさんに受講いただく、技術ライティング講座もこのところ開催されていません。希望者が規定の人数に達していないからです。

さらに、noteに日記的なブログを書く方は一定数いらっしゃいますが、技術ブログを書く人も増えていない…というか、むしろ減っているようにも見えます。

AI時代に突入し「書くこと」の意義が感じられなくなった

懇親会では、たとえば同人誌を複数人での共著とすることで、「書くことのハードルを下げてみては?」というアイデアも出てきました。

なるほどな、と思いつつも、一方では、それでみんな書くようになるのかな?という懸念も払拭できない僕がいます。

「書かない」という行為の理由は大きく分けると2つ。

  1. 書きたいけれども、しんどい。だから書けない、続かない
  2. 書くモチベーションが湧かない。意義が見いだせない。だから書かない

1に対してであればハードルを下げる効果はありますが、2に対しては別のアプローチが必要です。ライティングに取り組む「スイッチ」を入れるという難しい課題に取り組まなければいけません。

そして、この2に該当するの比率が増えてきているような気がするのです。

生成AIの登場がもたらした変化

なぜ、そもそも書く意義が見出しづらくなってきたのか…?

理由として、生成AIの登場があるのではないかと考えています。

「書き筋」や「切り口」は価値を失う

生成AI登場前、僕らは学んだ知識を忘れないように、後で見返せるようにということで書いていました。そして、どうせ書くならインターネットで公開することで、他者の役に立つ。それらの組み合わせが書く意義となり、モチベーションを生んでいました。

たとえ、同じ技術情報がすでに公開されていたとしても、初心者ならではの視点や自分ならではの視点で書くこと、つまり書き筋や切り口のバリエーションの違いは、きちんと別の価値を生み出していました。

しかし、生成AIでみんなが情報を得るようになるとそこは変わってきます。

インターネット上に投下された知識は、学習データとしてAIにすべていったん取り込まれた上で、確率的にもっともそれっぽいものがひとつだけ得られます。

ユーザーが求める切り口で情報がほしければ、「中学生にもわかるように」などと指示すれば、そのように調整することができます。

生成AIの時代では、書き手それぞれの書き筋や切り口は失われてしまうのです。

発信は必要だがこれまで以上の独自性が求められてしまう

もちろん、生成AIも世の中にない情報を提供することはできません。

学習データが不十分だと、適当にでっち上げてしまう「ハルシネーション」が起きやすくなってしまいます。

だからこそ、人類にとって情報発信は依然として重要ではあります。

しかし、前述の理由から、情報発信にはこれまでにはなかったやつ感、つまり独自性が求められるようになりました。

自分の意見や感想、体験などが中心の日記的な内容は独自性があるので気軽に発信できますが、技術的な情報については「誰かもっとすごい人が書けばいい」と感じてしまうこともあります。

その結果、「自分がわざわざ書かなくてもいい」と、意識的にもしくは潜在的に感じている人が増えているのではないかという仮説です。

「書くことの意義」の再定義

ということで、生成AIの登場により、「書くことの意義」を再定義する必要が出てきたように思います。

しかし、書くことの意義、その価値、大事な何かが依然としてあるように感じます。むしろ、生成AIがテキストを出力できるようになったからこそ、人間が書くことの価値をより浮き彫りにするチャンスかも知れません。

このあたり、脳みそに汗かいて考え続けていきたいところです。

まとめ

以上、「生成AIの登場が僕らの「書く」モチベーションを失わせたのか」についてお伝えしました。

引き続き、みなさんがいきいきと学び・働くためのヒントをお届けしていきます。次回をお楽しみに!

この話を耳から聴きたい方はこちらからどうぞ!

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